2014年04月27日
森になる
2013年01月02日
2012年12月28日
2012年12月17日
少しだけ、できること
2012年10月04日
いっていらっしゃい、よい旅を

10代からの友達が突然の病気で亡くなりました。
写真の木の人形は、
10代の頃に誕生日プレゼントでいただいたものです。
お通夜に行った後、
30代の頃にいただいた手紙を読み返したりしました。
とても勉強家で今は大学教授でした。
旦那様は癌の専門医ですので、
病気がわかった時の驚きはどんなだったろうと思います。
20歳前後だったと思うのですが、
いただいた手紙の中の言葉が私の宝物です。
・・・そして人生ってさびしいから、
あなたとはいつまでも友達でいたい。
その後、ヒロコの人生はさびしいものではなくて、
ここしばらくは連絡とっていないし、
同期会で会ったのも、たぶん2度目の成人式が最後でした。
いっぱい笑える思い出があるから、
またいつかどこかで会ったら、笑えるだろうと思います。
だから、いっていらっしゃい、よい旅を。
2012年07月24日
この空の花
映画「この空の花」を観ました。
長岡の花火の映画です。
この空の花
長岡の花火は慰霊の花火です。
長岡の花火
(長岡空襲のサイトから引用)
長岡は新潟県第二の都市であり、1945年7月時点での市の人口は74,508人でした。空襲を受けたのは、1945年8月1日の午後10時半からです。この日、テニアン島から離陸した第313航空団のB-29爆撃機125機(爆撃分だけの機数)が志摩半島から富山湾に抜け、新潟県に侵入して長岡市とその周辺に多量の焼夷弾を投下し、福島県へ脱出しました。投下した焼夷弾は重さにして925トン、焼夷弾の子弾の数では15万発以上になるといわれています。
夜の10時半に始まり、翌2日の零時10分まで約100分間続いた無差別の焼夷弾攻撃は、長岡の町を火の海にしました。猛火の前では消防車も退避せざるを得ず、市民による縄製の火たたきやバケツリレーによる消火は危険に身をさらす行為でした。長岡市役所では鶴田義隆市長のもと、消火活動に当たりましたが、非難時期を逸してしまい、市長は市役所隣の北越製紙本社裏の防空壕内で亡くなりました。
慰霊の白い花火
長岡には模擬原爆も落とされました。
(模擬原爆のサイトから引用)
日本に対する高高度(高度3万フィート「約9千メートル」)からの人類初の原爆投下を成功させるための投下訓練と、爆発後の放射線から逃げるための急旋回(急転、退避)の訓練を目的として、米軍第509混成群団は、1945(昭和20)年7月20日から8月14日にかけて、東京、富山、長岡(新潟県)、敦賀(福井県)、福島、島田(静岡県)、焼津(静岡県)、浜松(静岡県)、名古屋、春日井(愛知県)、豊田(愛知県)、大垣(岐阜県)、四日市(三重県)、大阪、和歌山、宇部(山口県)、新居浜(愛媛県)など1都2府15県29市町(現在の自治体数)の44目標に模擬原爆49発を投下(計18任務、延べ50機)、約420人が死亡、約1200百人が負傷した(「春日井の戦争を記録する会」の調べ。なお、模擬原爆と判明したのは1991年)。
8月9日に長崎に落とされたプルトニウム型の原爆「ファットマン」を模していた模擬原爆は、ファットマンとほぼ同じの形長さ3・5メートル、直径1・5メートル、重さ4・5トンのずんぐり型のその形状がカボチャによく似ていたところから、米軍内部では「パンプキン(かぼちゃ)爆弾」と呼ばれていた。
この模擬原爆には、通常の火薬(TNT火薬1万ポンド。1ポンドは16オンス、約453.59グラム。1万ポンドは約4.5トン)が充填されていたので、投下地点ではかなりの被害が出た。しかし、厳しい報道管制で事実は報道されず、多くの国民には知らされなかった。
また、山本五十六の生まれ故郷です。
(2011年12月8日配信『毎日新聞』)
真珠湾攻撃70年:オバマ大統領「追悼の日」=太平洋戦争の口火を切った旧日本軍によるハワイ真珠湾攻撃から7日(日本時間8日)で70年となる。オバマ米大統領は7日を「追悼の日」と宣言し、3500人以上とされる米国側の死傷者について「自由のために身をささげた」とたたえた。
レイ・メイバス海軍長官や、東日本大震災で被災地支援の「トモダチ作戦」を指揮したウォルシュ太平洋艦隊司令官ら米軍幹部を含む約3000人が出席する。
一方、真珠湾攻撃を指揮した旧日本海軍連合艦隊司令長官・山本五十六(いそろく)の生まれ故郷、新潟県長岡市は公募で選んだ大学生8人の訪問団を式典に派遣する。
2012年06月21日
浄化
2012年06月05日
サラの鍵
2012年03月11日
2012年03月10日
祈り
北極ジリスです。
明日は恵比寿で祈りを表現した自由お絵描き会を開催します。
ふんばろう東日本支援プロジェクトのイベントの入場無料エリアで
13時からと17時からです。
http://wallpaper.fumbaro.org/en_kizuna
風の中で
光の中で
水と共に
大地と共に
2012年02月05日
2012年01月25日
ふわふわ
2012年01月21日
漁師さんのお話会

まなざし展にて、招待作家の平野さんのお父様によるお話し会がありました。
南三陸の牡蠣漁師さんです。
わかめや牡蠣の養殖は再開しているそうです。
牡蠣は震災前より大きくなるのがずっと早いそうです。
それは、海の中に牡蠣のいかだが少ないから、
栄養分がたくさんあることが理由と考えられるそうです。
住んでいた土地はどうなるのだろう、
牡蠣やわかめは売れるだろうか、
など問題はたくさんあります。
けれど、
たくさん生まれた新しいつながり、
全てに感謝できるという言葉が印象的でした。
2012年01月09日
厄落とし
うららかな新春の1日です。
三人吉三巴白浪(さんにんきちざともえのしらなみ)
月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空
冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと
浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両
(呼び声)おん厄払いましょう、厄おとし
ほんに今夜は節分か
西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み
こいつは春から 縁起がいいわえ
もう1本の、
「奴凧廓春風(やっこだこさとのはるかぜ)」には、
幸四郎、染五郎、
そして幸四郎の孫で小学1年生の松本金太郎が出演し
しっかり演じていて微笑ましかったです。
終演後、常磐津和英太夫(鈴木英一氏)と、
舞台に出っ放しで声ががらがらの染五郎さんとの対談があり、
舞台裏のお話を聴くことができました。
すばらしかったです。
2011年11月15日
復興支援のお買い物をしましょう


銀座の「いきなり市場」に行きました。
http://blog.goo.ne.jp/akazara_boy/e/954f31d4a5d656b6828fdb7b8e06356d
復興支援のお買い物をしましょう。
南三陸町deお買い物
http://www.odette-shop.com/products/detail.php?product_id=5
ゆめ多幸鎮
http://ms-octopus.jp/
大槌復興刺し子プロジェクト
http://osp2011.web.fc2.com/index.html
三陸ハンドメイド
http://www.nbc-sakusen.com/
2011年11月02日
ネイティブ・アメリカンの言葉
家の近くの八幡宮は銅の鳥居です。
八の字が鳩です。
ネイティブ・アメリカンの言葉を引用します。
1
インディアンの富は
持っているものではなく
与えるものではかられる
これがインディアンのいう「与える人」の真意だ
2
そこにたどりつこうとあせってはいけない。
本当にあるのは「ここ」だけ。
今という時にとどまれ。
体験をいつくしめ。
一瞬一瞬の不思議に集中せよ。
それは美しい風景の中を旅するようなもの。
日没ばかり求めていては
夜明けを見逃す。
2011年10月31日
情熱
全身全霊での歌声を浴びて、浄化されました。
ありがとうございます。
http://asiasunrise.jp/
1月の展覧会への情熱が増しました。
今のところみつけた、東北のお買い物リンクです。
1月までにたくさん探します。
http://www.odette-shop.com/products/detail.php?product_id=5
http://ms-octopus.jp/
http://www.nbc-sakusen.com/
http://ameblo.jp/yoka-toshoka/entry-11059653984.html
2011年10月17日
修羅場
「京の舞妓」は、画面の全てにピントが合った作品で酷評され、ご自身でも失敗だと思い、
その後の「炎舞」で時間と状態の移ろいを描くことができた、という解説でした。
すごいことです。
その後の、「プロフェッショナル仕事の流儀」では、
私の最初の就職先である虎の門病院、血液内科の先生の話題でした。
どんな現場かわかっているだけに、感慨深かったです。
修羅場が人を育てるというのは、ほんとうのことです。
2011年09月24日
傷

時々、印象的な夢を見ます。
今朝のは、巫女さんの格好して、神社の白い砂の所を掃除していました。
砂の表面に埋まっている上の絵みたいなものを掘り出して、きれいな砂にしています。
いくつもいくつも埋まっているのをひとつひとつ掘り出して、きれいにしていて、
眼が覚めました。
昨日は、「対話の会」に出席しました。
相手が言いたいことの要点を、相手の言葉で確かめる「確認型応答」の練習です。
昨日は、東日本大震災の支援者、被災者の方の集まりで、
それぞれ個性的な考えで行動している方々で、
ほとんど全員初対面なのに、のびのび気持ちがよくて安心感がありました。
それから夜に観たNHKのテレビ番組も興味深かったです。
「白熱教室」のサンデル教授が日米中の若き知性と議論していきます。
テーマはテロリズムでした。
アメリカのビンラディン殺害に正義はあるのか、
死刑についての考え、
テロリストにハイジャックされて大都市を危険にさらす航空機があった場合
それを打ち落とすことの是非、などでした。
そういうことを話さなければいけない今の地球が悲しいけれど、
みんな真剣に考えて意見を言っていました。
そういったことで、この夢をみたのだと思います。
2011年09月10日
よかったなあ
http://ameblo.jp/shiawasedikara/
お問い合わせが何件かあるうち、中学生の方からのご連絡がありました。
丁寧な言葉遣いで、ご自分の作品へのリンクもついていました。
詳細を送付しつつ、保護者の方にもメールを読んでいただくようにお願いしました。
「まだ私には早い」ということで参加されないことになったのですが、
その返信の中に、こういうお言葉があり、嬉しかったです。
まなざし展のような展覧会の存在を知ったことは私にとって
よかったなあと思いました。