2009年09月17日

共鳴

t091311.JPG
友人の家のごちそうの一部です。
プロフェッショナルまぐろ仲買人、藤田浩毅の店で買ったそうです。
また、日本酒は名古屋の醸し人九平次の店のものでした。
築地が近いから、他に生たこのサラダとか、
新鮮なエビのパエリアなどでした。ごちそうさまでした。


今日の話題は、片山洋次郎氏の「整体から見る気と身体」、
「整体。共鳴から始まる」です。
どちらも内容が濃いのですが、そのごく一部を引用します。

『例えば、親が子を見る場合、この子はこういういいところがあるとか、
悪いところがあるとみていくとしますね。
いいところがあるというのを強くみたとしても、
悪いところがあるというのを強くみたとしても、
両方とも子供にとっては負担なんですね。
面白い子だとみた場合には、子供の方はそんなに負担じゃないと思うんです。
親も楽です。
こういういいところがあるといえば、
そのように子供はならなければいけないし、
親もそういうふうにしようと思ってしまうし、
ある種の期待をかけてこういう人間になってもらいたいという価値観が生まれる。
だけど、面白い子だというふうに思った場合は、お互いに楽で、
そういう意味では健康なんだと思います。』
片山洋次郎「整体から見る気と身体」ちくま文庫、2006、より引用


『自分のエネルギーを余すところなく発揮できているほど、
より充分に生きているといえるが、
バランスをとるのはより難しくなる。
ただ楽になるのでなく、「おもしろ苦しい」のである。』

『一神教的な世界観よりも、アイヌの世界のような人と多様な神々が
同じ世界に生きているような、先住民の森の世界のほうが
これからの世界には似合う。
先住民(主に狩猟採集民)の世界観が注目されるのは、
環境的な視点からのみではなく、
むしろ巨大なシステムの森が、
有機的自己生長をしようとしているからではないかと思う。
ピラミッド型(トゥリー型)の単一システムとして構造把握することが
不可能な「原始の森」へと成長しようとしているので、
近代を主導した砂漠の宗教としての一神教的世界観よりも、
アニミズム的世界観により親近感があるのだ。
農耕・牧畜社会から始まった所有・欲望・執着の世界から、
非所有・共鳴の世界への過渡期ということになるだろう。
 それは身体のもつ多様性そのものでもある。
大脳的というよりは身体的であり、
単一言語的というよりは多言語的、多民族的であり、
身体の多様な可能性の開示である。
また個が世界に組織を通してコミットするのではなく、
個が直接にコミットするということでもある。
多様な個による共鳴的世界像である。
システムとシステムの共鳴による超システムの創造ということになるだろうか。
そのようなシステムは植物的世界=森になっているばずである。』
片山洋次郎著「整体。共鳴から始まる」ちくま文庫、2007、より引用

posted by たびのくま at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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